愚か者が変わるためには

初めまして。

ももかつです。

私の事を少しだけ紹介させてください。

2021年田舎への移住を計画し、どんなライフスタイルにするか

家族全員で話している真っ只中です。

なぜ移住する事に至ったのか。

少し余談にお付き合いください。

 

2021年悲劇の始まり。

 

ここがももかつの田舎移住への決断に繋がるのです。

○幼少期

1990年生まれ。岡山県出身。

幼少期は活発でなんでも興味がありましたが、体が弱く肺炎や小児喘息になり、すぐ病院送りになっていました。

身体を強くする為、水泳や空手をやっていましたが、中でも一番のめりこんだのはソフトボールでした。

田舎ながらもそれなりに強く、地区大会で優勝したり、キャプテンも任されたりとよい経験を積むことが出来ました。

ポケモンやスマブラ、遊戯王とみんなで一緒にやれるゲームが好きでした。

○中学時代

 

少人数の学校でなんでもできる。なんて思っていた生意気な学生でした。

良いのか悪いのか、中2から生徒会副会長や野球部のキャプテン、運動会のリーダーなどを任され調子に乗っていた時期でした。笑

○高校生から中学時代

 

調子に乗った少年が打ちのめされる良きタイミング

それが高校生。私の中で一言で表すとそれにつきます。

幼少期に母と田舎都市に買い物に行ったとき、ふとデパートのテレビに映った高校野球。その時のカッコイイが忘れられず、野球をやりたい、甲子園に行きたいと住んでいた所から遠く離れた高校を選んで毎日通いました。

しかし、世の中は広いな。笑

同じ県内の学校に行ったぐらいだが、小さな世界で住んでいた私にはそう感じました。

調子に乗っていた私が何一つできない。

周りの個性の強さに前に出る勇気を一気に無くしました。

ただ個性の強い人たちに囲まれ楽しい日々を過ごせたことにも変わりはありませんでした。

高校野球にも揉まれ苦しみ、甲子園には行くことができなかったが、私のこの人生を作っていく基盤みたいなものになってくれました。

甲子園という目標を失った私が次に何をするか本当に悩み苦しみました。

ただ高校の時誰も知り合いがおらず外へ出て行った経験が良かったのではないかと

漠然と県外の専門学生へとなりました。

初めての一人暮らしは寂しく孤独でした。

不登校になりかけた私に声を掛けてくれて仲良くなった数人の友達。

夜な夜なみんなで集まり遊びに夢中でした。

誰にも注意されることなく親の目もない自由を感じた日々だったからです。

 

 

そんな中、急でした。彼がいなくなったのは。。。

 

声を掛けてくれた友達の一人が川で溺れて亡くなったのです。

大好きでした。最高に大事な大事な友達でした。

あんなたくさんの人から愛される人間はそんなにいない。

もっと生きたかったと思う。

だから長生きをしたくないと言う人がよくいるが、どうかそんなことを言ってほしくない。

せめて私は必死に長生きしてやる。あいつの分まで生き抜いてやる

○社会人・家庭

 

そんな必死な思いも虚しく、学生時代遊んでいたツケが回ってきたのか行こうと思っていた企業に不採用。

まあそもそも緊張しすぎて、ずっと寝れず筆記試験最中体調を崩してしまったポンコツ具合です。はい。

学生の求人というものは一度不採用になったら、もう良い企業は残らないシステムなのか。

とりあえず行ける会社に勤め出しました。

工場で働き良い人に恵まれ、働きやすいが一生続けることはできないと転職。

転職先は好都合。最愛の人とも結ばれ結婚。息子と娘も授かりました。

幸せとはこういうことか。

そんなふうに思うこともあった日常。

 

が、一瞬にして崩れ落ちた。

 

私はまた調子に乗っていたのかもしれない。

幸せにも関わらず欲を出しすぎたのかもしれない。

信じてはいけない人を信頼し詐欺にあってしまったのだ。

気づいた時には恐ろしいほどの金額の借金をしていた。

今思うと洗脳だったのか、冷静になればわかることだった。

どんな公的手段をとろうが相手もプロで何も助けてもらうこともできなかった。

自分も苦しんだが、私の周りの人を苦しめ危険なめに追い込んでしまった。

大事な人たちを失くしてしまう。

それが一番辛かった。

いっそ自分自身を傷つけた方がどんだけ楽か。

自分を傷つけて終われるならと考えていた。

だがそれはできなかった。あいつの分まで生き抜いてやると決めていたから。

○大事なものとは・移住

 

家族の助けもあり、詐欺とは縁をきり日常に少しずつ戻していった。

少しでも元の生活に戻すため、面倒を起こした償いも込めて働いた。

幼い子供たちも妻も一生懸命だった。

一生懸命だった分ジワジワと心を削っていた。

私も妻も限界を迎えていて

助けをこうかのように田舎の実家へ帰省した。

私の実家は渚百選にも選ばれている海水浴場の目の前。

これが写真です。渚百選

家からの景色 景色

 

私は実家からこの景色を見て

帰りたい。

素直に出てきた心の声でした。

今まで自分の心の叫びなど感じたことなかった私が

本当に出てきた思いでした。

 

この思いを妻に伝え快く受け入れてくれた優しさ。

私の両親や兄姉に伝えいつでも帰ってこいと言ってくれた心の広さ。

妻の両親に伝え信じて送り出してくれた信頼と強さ。

 

私は人からの裏切り世の怖さを痛感したが

その分、いやそれ以上の人の優しさをしれた気がします。

もしかしたら、それを知るため、田舎へ移住するために

気づかせてくれたことだったのかもしれません。

 

○今後は

今現在進行中で田舎移住のために、準備をしています。

2022年4月移住のため、住居、仕事、生活環境、子育てなどさまざまな問題にぶち当たっています。

ただ世の中には先駆者の人たちはたくさんいて、アドバイスもいただけます。

私も今後、新移住者達のために、取り組んできたことを

少しでも役立てれるよう幸せのバトンを繋いで行きます。

彼の分まで

 

このブログが参考になればと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。